ごあいさつと罪の告白
はじめまして。
いとと申します。
これが最初の記事です。
ここまでで堅苦しいごあいさつは終わり。
はじめに言っておこう。
私は罪人だ。
読み方は「ざいにん」でも「つみびと」でもいい。
いっそのこと格好よく咎人「とがびと」と呼んでくれてもいい。
ともかく、私は長年のこと、ある罪に苦しみ喘いでいる。
それは「積ん読」という罪。
あるとき、「積ん読」、つんどく、なる言葉がこの日本に生まれ落ちた。
私は「うまいことを言ったつもりか?いやあ、うまいな!」と感心するのと同時に、
「何故、私のことを知っている?」と背筋に震えが走ったあの瞬間を忘れてはいない。
一体いつから、私にとって本は読むものだけでなく、積むものとなってしまったのだろう。
そんな寂寞たる思いに駆られながら、確かその日も本を買った。
いつ読むとも知れぬ本を。
いや、正確には、すぐにでも読むつもりではいるのだ。いつだって。どんな本だって。
しかし、何故だろう。
積んでしまう。
文字どおり、とんとんとんと積んでしまう。
身の危険を感じたあたりで整理し、本棚の「未読コーナー」に納めるが、それは単に下(例)にあったものが左(例)に来ただけのこと。
状況には何の変化もない。
「あれだけ積んでるんだから、読みきるまでは買うのをやめよう」
まともな思考のもとで立てた誓いは、幾度となく破られた。
己との戦いなどそうそう勝てるものではない。
やがて私は悟った。
これは負けていいのだと。
だって本だもの。
好きなんだもの。
結果、活字の本はバベルの塔の如き傲岸さを土壌にうず高く積まれていった。
そして、ついに、その日がやってきた。
マンガまでもが積まれはじめたのだ。
事、ここに至って「これはまずい」とさすがの私も慄然とした。
私は本と同じくらいマンガが好きだ。
しかし、活字に比べるとマンガを読むという行為はややハードルが低いと信じてやまなかった。
実際、本とマンガを1冊ずつ買ってきたら、一も二もなくマンガから読んでいたのだから、私の習慣としては自明の理。
それすら崩れ…ではなく、積まれようとは。
「年なのね」
本とマンガの山を前に、呟いた。
齢、人生の折り返し地点。
読書歴、約35年。
私の命は、読む読まざるに関わりなく、常に本とともにあった。
まさか心臓がとまる前に、本との離別が訪れようなど、そんな、そんなこと、
あっていいはずがない。
さて、今年2019年は、私にとってちょっとした転換期に当たる、かもしれない。
今更ながら新しい勉強を始めて資格を取り、まったく未知の世界へ飛びこむ準備をしているところなのだ。
これまでも在宅の暮らしであったが、これからはその濃度が変わってくる。
それにつれて、時間の使い方も違ってくる。
つまり、本との付き合い方を見直す好機でもある。
これを逃す手はない。
何しろ天の邪鬼かつ易きに流れる私のことだから、
「勉強わからん、よし、本を読もう」
となるのは目に見えていること。
もちろん、それが常習化してしまっては本末転倒だが、積んだ本が完全な飾りものではなく、息抜きの名目で支えとなってくれるなら、まさしく積んできた甲斐があったというもの。
ものは言いよう、考えようである。リフレッシュ、大事よ。
と、つらつら書いたが、実のところ、恐らく最初の記事で述べるべきことはaboutページに詰めこんでしまったという、さすが私としか言いようのない迂闊な事情がある。
簡単に言うと、
今現在、マンガを含めて250冊ほどある積ん読を、崩しては読み、また積んでいくであろう、ここはただそれだけのブログ。
別に「積ん読しちゃダメ!さあ積んでいるあなたもそなたもご一緒に崩しましょう!その秘訣を教えてあげる!」といった高邁な指針などない。あるはずがない。
そういうことは自分が成し遂げてから言うものだろう。
試行錯誤しながらノウハウを分かち合う人もいるだろうけれど、それは私の役割ではない。
「勉強あきた、よし、ブログ書こう」、この可能性だって高い。
逃げ道は多ければ多いほど良い。
逃げちゃダメだなんてどこかのチルドレンみたいなことは言わない。
何故なら私は既に書いたとおり、戦いをやめたのだから。
ひたすら積ん読をネタにするブログ。
これをただ楽しむことしか、今は頭にない。
ただ、まあ、やっぱり「本を読みたい」という欲はほんとうにあるので、それが結果的に積ん読解消につながるなら何の問題もない。
よって、このブログでは、我が積ん読がどのようなペースで崩されていくか、そしてまた積まれていくか、そうしたことをなるべくリアルタイムでお届けする。
読んだら、もちろん感想を書く。
「これ5年も積んでた私、アホなの?」ということもあれば、「あと5年ぐらい積んでてもよかったかなあ」との判定に落ち着きもするだろう。
いざ読んでしまえば大抵は楽しんでしまえる質ゆえに、自分でもあまり好ましいやり方ではない気もするが、
「5年後のほうがもっと面白く読めたかもしれない」、
そういう意味あいも含むものであれと願う。
実際、数年ごしで再読したい本も多いのだから、大いに起こり得ることだ。
そして、ウェブログの名にふさわしく、記録として月末あたりに「今月の積ん読変動報告」などを行いたい。
さんすうが苦手なため、あまりきちんとしたことは書けないが、
「250冊のうち5冊を読んで245冊になったけど昨日3冊買っちゃったから結果的に現在248冊」
ぐらいのことは言えるだろう。さすがに。たぶん。
とりあえず、初回の記事としてはここまで。
さっそく報告してみると、
昨日、新書を1冊、わくわくしながら読み終え、
今日、マンガを3冊、夢中になって読み終え、
先ほど、文庫を読みはじめたところ。
ちょっと今は正確な数字を把握していないので増減について詳しく書けないが(いずれきちんと積ん読リストを作成して載せたい。読書メーターで管理しているからそれほど困難な作業ではない)、
たとえば昨日、読了した新書は積ん読ではなかったりもする。
発売前に予約しておいて、届いた1時間後に読みはじめていたから。
非常にまれなケースではあるが、そういう例外もある。
なら結局、ただの「本のブログ」なのではとお思いか?とんでもない。
これは本当に例外中の例外。
だって片や20年ものの積ん読も本棚にしっかり存在するのだもの。
私の読書生活は「積ん読」が柱。
そこを崩せないからこその、これはもはや原罪なのだ。