購入状況と積ん読の育成
2019年2月に購入した本などをリストにしてみた。
もちろん、途中経過である。
まだ2月は10日ほど続くのだから。
(それにしてもそろそろ「金田一37歳」3巻か…楽しみだなあ)
なお、わたくしめ、最寄りのコンビニまで徒歩40分という地域に住まっている。ちっともコンビニエントじゃない。
要するに田舎ぐらし(一応、首都圏なのに)。
よって、購入する本の9割はネットづたい、わけてもアマゾン頼りという状況にある。
まさしくアマゾンさまさまである。
予約購入が多いのも、ネットでの新刊チェックが日常化しているから。
それでも情報を取りこぼすことは少なくない。
まったく、どれだけたくさんの本やマンガが日ごと世にあふれ出ているのかと、時々うんざりしてしまう。
その倦怠感が不買につながらないのは、もはや性としか言いようがない。そういうことにしておきたい。
なお、本は紙に尽きる。
頑なな人間だと言われようと何だろうと、ここはどうしても譲れない。
萩尾望都の「ポーの一族」の新作掲載誌がどうしても入手不可能だった折り、断腸の思いで電子書籍を選ばざるを得なかったが、改めて紙の良さに惚れ直す結果となった。
至高かどうかはともかく、私は紙の本が好き。
これからもずっと紙の本とのお付き合いを続けるつもりでいる。
話を購入リストらしきものに戻す。
短めなのでちょっとコピペ。
★購入した本、マンガ、その他
ジョージ朝倉「ダンス・ダンス・ダンスール」12(ネット予約購入)
橋本治『思いつきで世界は進む:「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(ネット予約購入)
芦辺拓『奇譚を売る店』(書店購入)
大西寿男『校正のこころ』(ネット購入)
御手洗直子「腐女子になって四半世紀経つとこうなる~底~懐古編」(書店購入)
(何故かコピペできなかったため一生懸命に手打ち)
いちばん早くて2月1日に購入。
で、この中で既に読んだもの、つまり「もう積ん読じゃないもの」に打ち消し線を引くと、
ジョージ朝倉「ダンス・ダンス・ダンスール」12(ネット予約購入)
橋本治『思いつきで世界は進む:「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(ネット予約購入)
芦辺拓『奇譚を売る店』(書店購入)
大西寿男『校正のこころ』(ネット購入)
御手洗直子「腐女子になって四半世紀経つとこうなる~底~懐古編」(書店購入)
賢明なる読者諸氏はお気づきであろう。
活字の本は『』で、マンガは「」で、カッコを使い分けてある。
この圧倒的マンガの愛され率!
『校正のこころ』、読もうよ…。
いま、自分にとって最大に重要な本でしょ…。
でもまあ、「ついにマンガも積むようになった」と絶望していたのだが、思ったほど積みっぱなしでもない。
昨年末、すごく楽しみにしてた「文豪ストレイドッグス」とか「乙嫁語り」とかあれとかこれとか積んだままだけど、うん、それはあの時期に発売された待望のゲーム「ドラゴンクエストビルダーズ2」が邪魔したからで…。
えーと…。
私は本の収納を二段階に分けている。
まず、隣室に大きな本棚がある。そこに既読本が約1500冊。
おいそれと引っ越せない理由の一つ、と、それはさておき、
そこもほぼ収納の限界を迎えているがゆえに、年に2、3回、整理するまでは積ん読を足すことはない。
本を買ってきたら、まず、隣室の引き戸のわきに、積む。
文字どおりの積ん読。
古いものほど下にあり、取り出すのにも難儀する。
実際に何度か雪崩を経験している。
いきおい、上にあるものから読むことになる、というか、手に取りやすくなる…というわけで…。
「鉄は熱い内に打て」のことばに倣い、「本は上にある内に読め」となる。
何かもう、ごめんなさい。
ただ、やっぱり、好きな本やマンガでも「読みやすいもの」は、ある。これもまた事実。
たとえば「おひとり様物語」などはオムニバス形式の短編集ゆえか、食事どきにぴったりなのだ。
(谷川史子氏ご自身も「おひとり様物語」1巻のあとがきマンガで、「今回はふわっとゆるっと読める、箸休めみたいなマンガを描きたいと思った」といった主旨のことを仰っていた記憶がある)
あ、そうそう、奇遇にもわたくしも「おひとり様」なので、食事中はマンガを読むのが当たり前。
テレビもないから、マンガ。たまに本(まれにゲーム)。
食事むきのマンガというのは結構あって、他だとアサイ「木根さんの1人でキネマ」が強い。一食分にちょうどいい。
ただし、下手をするとそのまま食後にごそごそとモニターとPS4と「ダイ・ハード」のDVDを取り出して「イピカイエー!」状態になるから要注意。熱中はご計画的に。
それ以外には、大島弓子の「グーグーだって猫である」も、かなり具合がいい。
かないねこ「文豪ストレイドッグス わん!」も自分の中で「文スト」が盛り上がっている時は大変に適している。
(こうして書いている間に著者名などを検索していたら、「木根さんの1人でキネマ 打ち切り」とかいう不穏な検索候補が…更に「文ストわん」いつの間に5巻まで出てたの…?どうするのこれ。買うの?この流れで買うの?)
話がどんどん逸れてしまった。また元に戻す。
自覚している点として、実は最近はあまり積ん読をしていない。これはウソでもネタでもなく。
何となくそういうタイミングなのか、単なる気分なのか、買った本を少なくとも1週間以内には読了したりしている。
それでも「買った本」だから積ん読を崩しているわけではないが、読書のリズムが良い時期なのだと実感している。
まったく読まない、読めない、という時もあるから、ここぞとばかりに買って読んでいる。
読みやすい本を。楽しく。
先月末に、志駕晃『スマホを落としただけなのに』、冲方丁『十二人の死にたい子どもたち』を、たまには時流に乗ってみようと買い、すぐに読み始め、読み終えた。
断っておくが、良書かどうかという話は、私やこのブログとは一切、関係がない。
ただ、好きか、面白いか、それだけだ。
面白くなかったらそう書くが、それが悪いと結論づけることは絶対にない。
また脇道に偏ってしまった話を、みたび戻す。
こうなると、ここで一つ、決めておきたい線ができてくる。
買ってからどれくらいまでの未読(不読?)期間を積ん読とするか。
250冊の積ん読の前では非常に些末な議題である。
と、あっさり自答してしまうと、そもそも「積ん読」の定義から始めなければならない。非常に面倒だ。
私の感覚では、購入から1ヶ月ていどの放置なら、積ん読とは感じない。
一方で、たとえば50冊をいちどきに買ったのならば、レジに立った時点で(注文ボタンを押した瞬間に)積ん読は発生しているようにも思える。
さんすうができれば、このあたりの相関をうまく解き明かすことも可能なのだろうか。
ならば私はさんすうとは無縁でいたい。
あえて厳密に決めなくとも、すでに250冊の積ん読がある以上、1冊を買うだけで251冊目になるだけ、と言うこともできる。
それでもなお、何かしらの区切りをつけるとしたら、
購入から1ヶ月は積ん読乳児期、
3ヶ月は幼年期、
6ヶ月は思春期、
1年で青年期、
3年で老年期、
6年で末期、
10年以降は超越者。
こんなところだろうか。
やはりまったく意味をなさないが、まあ、老年期あたりで自分に歯止めをかけられるようになったら、私にしては上出来だろう。
いや、問題とすべきはそのとき何冊ほど積んでいるか、か。
それにしても6年後って私…あ、ちょっと思考を放棄しよう。
とりあえず今は、先月末に買った(ということは乳児期)、雪舟えまの『バージンパンケーキ国分寺』を読んでいる。
表紙イラストが池辺葵だなんて、とてもではないが素通りできなかった。
しかしこれがまた予想よりずっと面白いので、ヤマシタトモコがイラストを手がけている『BL古典セレクション1 竹取物語 伊勢物語』が私を呼んでいる…気がする。(敬称略)