本を積む人

積んでいる本を崩しては読み積んでは崩し……積み読み積み崩し積み罪

いとさんの1人で積ん読―本好きという体験

2017年末、私は聖典を得た。

 

木根さんの1人でキネマ 1 (ジェッツコミックス)

木根さんの1人でキネマ 1 (ジェッツコミックス)

 

 

現在、5巻まで出ている。

何故かGoogleサーチで「木根さんの1人で」まで打ちこむと「木根さんの1人でキネマ 打ち切り」と出てくる悪辣な検索候補にもめげず、4月に新刊の6巻発売予定。

もちろん予約済である。発売日まで何があっても生きのびてみせる。

 

内容を簡単に説明しておくと、映画が好きで溜まらない主人公、木根さん(アラサーと言っているが恐らくアラフォー。独身。課長。隠れ映画オタク、隠れ映画ブロガー)がひたすら執念深く映画を追いかける話。

それだけなのに、とにかく面白い。

私はこの1巻を読んだ翌日に3巻までそろえ、ついでに「ダイ・ハード」のDVDボックスを購入し、PS STOREで当時お安くなっていた「マッドマックス」とその続編をレンタルした。

ついでに言うとブログを始めたのも、この木根さんが書いているブログ(作中の設定ゆえ架空。そうさ、架空さ。それがどうした)に触発されたようなもの。

なんという影響力。求心力。絶大なる魅力。

木根さんを称えよ!

(TMじゃないほうの木根さんを!TMの木根さんはまたの機会に!)

 

と、このマンガについて語っていると軽く1週間は超えるので、ここまでにしておく。

では、何故、唐突に「木根さん」を出してきたのか?

まったく積む気になれないからである。

 

積ん読ブログなのに?

とお思いの方。まあ、お待ちください。ものには順序というものがあります。

単に今回の記事では、この「木根さん」ネタを多めに出すから(予定)。

それだけ。

前提として、記憶にのみ頼って引用する。ただし、ニュアンスに誤りはないはず。

何しろ聖典だからね。

 

かてて加えて、木根さんと私、映画と本という違いこそあれど、スタンスは非常に似ている。

木根さんが好きだから木根さんのようになりたい、と思ったことは一度もない。

ただただ、木根さんに共感せずにいられない。

よってネタにしないわけにもいかないのである。

 

以上の点を踏まえた上で、

いとさんの1人で積ん読

参ります。

 

 

最近、思うのだ。

積ん読って減らないよね」

と。

その理由は明快。

読みきらない内に買うからだ。

 

そこで佐藤さん(木根さんの同居人でツッコミ担当。非映画オタク)が問うてくる。

「なら買わなければいいんじゃないの?」

それができたら苦労しないの。

「なら読めばいいんじゃないの?」

読みたいよ。読みたいんだけど本屋には、いま読みたい本が山積みなの。

「本屋に行かなければいいんじゃないの?あとネットで本を探すのやめたら?」

そんなことできる?キリスト教信者なのにミサに参列しないようなものよ?(サボってます)冒涜よ!不敬よ!

「買ったのに読まない方がよっぽど冒涜だし不敬じゃないの?」

うう…正論すぎてぐうの音も出ない…。

「意地になってない?本を買うことも読むことも、義務じゃないんだよ」

 

その通りだ。

読書は決して義務ではない。単なる趣味のひとつに過ぎない。

ましてや積ん読は義務であろうはずがないし、絶対的に趣味であるわけがない。と思いたい。

 

趣味である読書を続けてきた結果が、250冊の積ん読という「状況」。

また、「本は紙に限る」という我が宗旨を遵守した結果、確実に物理的な圧迫を受けている「状態」。

それでもなお、私は言わねばならない。

本を読むことも買うことも、私にとってはどうしても欠かせない神聖な「体験」なのだと。

 

「いや、読んでないじゃん…理屈ばっかでめんどくさい…

 

そうね。それもまったくその通りね。

でも誰がいつ、「積ん読はもう嫌だ」と言った?

 

私の人生観では、読みたい本は買うものだし、それはひいては積むことなの。

楽しく読みもするけれど、楽しく積みもするの。

積ん読を理解するにもそれに則した文法ってものがあってね?

分かりやすい例を挙げましょうか?

 

私は編みものも好き。

猫さんをお迎えしてからというもの、環境上、ほぼ不可能になったけれど、定期的に友人と編みもの会を開催する程度には好き。

編みものをするには毛糸を買うわね?

でもその毛糸は少しずつすこしずつ、一目ずつひとめずつ、編まれてゼロになっていくものよ。

それに、大抵は一玉では足りない。ものによるけれど三玉はストックするわ。

一玉ではレシピ製作者の意図を汲み取れないと思わない?

その間は「本が積まれている」のと同じ状態。

違う?わたし間違ってる?

 

「え…ぜんぜん違うじゃん…それ進行中だし…積ん読は完全にストップしてるし増えてるしそういえば毛糸もずいぶんたまって」

 

 

 

 

ごめんなさい、本棚のダークサイドに落ちるところだったわ。でも口には気をつけてちょうだい。

 

 

お遊びはここまでにして、真面目に語ろう。

積ん読はもう嫌だ」

私はそんなことは一言も口にしていないし、書いたこともない。

他人が積ん読を前にしてため息をこぼす光景はよく見るが、それを批判しようとも思わない。

だって、人それぞれでしょう?(木根さん的にバルス並みの効力を持つ破滅のことば)

全人類、一人ひとりに見合った本との付き合い方があるはずだ。

積ん読で悩んでいるケースもあれば、そもそも積ん読とは無縁の奇跡も存在する。

他者と自分を比べても何も始まらない。

そんな暇があったら一文字でも読んだほうがいい。そして積めばいい。読みたいなら。積みたいなら。

 

が、時々ふっと「この250冊を崩す良い方法はないものか」と、考えないこともない。

答えは単純そのもので、すでに書いたように、まず読むこと。

そこがすべてのはじまりで、おわりだろう。

しかし、実際にスローペースながら読んではいる。

そして買うことはやめられない。

 

ならば、効率よく読めばいい。

積ん読リストを眺めると、

「やべえ私の積ん読どれもこれも完璧に面白そうだよな」

と我ながらわくわくするのだが、やはり「読みやすい本」と「読みづらい本」というものは、疑いようもなく、ある。

前者なら恩田陸あたり。後者なら純文学系。

俗っぽいとか高尚とかの問題ではない。

これはもう経験則としか言いようがない。

それを活かして、読みやすい本から順々に手をつけていく。

数が目に見えて減っていけば、積ん読を崩す喜びにもつながるだろう。

結果、半減期の短縮化を望める。

 

しかしだ。

それは大量生産された低コストのゾンビ映画を倍速で流すようなもの。

それは読書じゃない。単なる消費よ。

面白い本には間違いないのだろうから、その方法でも私はきっと楽しめる。

だが根底にある動機が積ん読の数を減らすため」ぇ?

作者に対して失礼だと思わないの!?

 

そもそも、「積ん読を減らす」イコール「多くの本を手早く読みきる」、この図式からしておかしい。

学生時代もそれ以後も、「たくさん本を読むことが快感」という人種には腐るほど会ってきた。

そうした人とは話していても、なんだかつまらないのである。

例を挙げましょうか?

 

 

私「マキャヴェリの『君主論』、読んでみたいな」

A「それ読んだよ。中1の時に」

私「へえ、面白かった?」

A「中1の時だったの」

私「(???)で、どうだったの?」

A「中1だったんだよね」

私「(?????)ボルジアについてはやっぱり熱論なの?」

A「誰それ?」

私「(ああ、なるほど)中1だもんね!」

A「うん、中1」

 

 

B「最近、なに読んだ?」

私「森見登美彦だっけ?あの人のを読んだよ。けっこう面白かった」

B「私あの人きらい」

私「合わなかった?なに読んだの?」

B「読んでないけどなんか嫌い」

私「ふーん…いま読みたい本って何かある?」

B「『新釈 走れメロス』って知ってる?面白そうなんだよね」

私「それ森見登美彦だよ」

B「え、じゃあやめた。安っぽく見られるから」

 

 

C「最近のオススメってある?」

私「んー、あれとか」

C「それ親が読んでる」

私「これとか」

C「妹が読んでた」

私「それとか」

C「友達が」

私「どれも面白かったよ」

C「みんな読んでるし。あー活字中毒なのになー」

 

 

彼ら、彼女らとは話していても本の話をしても楽しくない。

何故か?

彼ら、彼女らは、本の話をしていない。

「本を読んでいる人」の話をしているのだ。

 

どういう本をどういう時期に読んだら読書家っぽく見えるかとか、自分の直感はさておいて世間の評価はどうなのかとか、本を読んでいる自分の見てくれが良いか悪いかとか、私から言わせればただただくだらない。

しかもこの類の人たちは「あなたはどうだった?」とは、まあまず聞いてこない。

「何冊読んだ?」「直木賞読んだ?」「なんでそんな本読むの?」

彼らの興味は大体がそのあたりにあって、前者2つは自分が聞いてほしいことだったりするし(普通に語れよ)、最後の質問についてはバカバカしくてまるでお話にならない。

彼らは確かに私よりたくさん本を読んでいる。

なのにこうも会話がつまらないとは、毎度びっくりする。

「あれ読んだ」「今月は20冊読んだ」とは言うけど、「面白かった」「こういう話でこういうとこがよかった」とは何故か言わない。

私から見て、彼ら、彼女らは読者ではない。消費者である。

本を読んで「面白かった」「つまらなかった」の一言も出てこないなんて、洞窟にでも住んでんの?

 

で、そうした人たちがこぞって求めるのが「速読」。

来た、速読。

もちろん、速読そのものが悪いわけではない。

が、私の知る彼ら、彼女らは、「数多く読みたいから速読をマスターしたい」のであって「読みたい本がたくさんあって追いつかないから速読を身につけたい」ではないのだ。

これでうんざりしない方がどうかしている。

いっそ本より空気でも読んでろと思う。

 

それこそ空気を読まず真正面から聞いてしまいたい。

そんなに教養高く見られたい?

品性も知性も滲み出てないのに?

クレバーであろうとすればするほどアホっぽいよ。

 

私が芥川龍之介を積んでいて辻村深月を読んでいると笑う自称読書家たち。

いいか、よく聞け。

 

名作を読むから本好きなのか?

違う!

読みたい本を片っぱしから読むから、本好きなのよ!

 

そして私は今日も読みたい本を片っぱしから積んでいくのである。

私はリアリストだ。本に自我が芽生えるとは思わない。

でも本はやはり読まれてこそだとは感じる。

だからといって積ん読を前にいろいろ考えたところで、決して効率の良い読書に甘んじるつもりはない。

本の内容がどんなに面白くたって、私のその姿勢ひとつで面白いと感じる回路が閉じるから。

 

私は私の貧弱な読書歴のおかげで、読んでいない積んだままの本についていくらでも妄想していける。多大なる期待をこめて。

その時間を最大限に楽しむこともできる。想像はふくらむ一方だ。

そして実際に読み、たとえ予想していたものと違っていたとしても、笑っていられる。

だって自分で選んだ結果だから。

時間や金の無駄だった、と本を読んで思ったことはほとんどない。

(2、3回はあった気がする。悔しいので必死になって記憶から抹消した)

だからこそ、積み続けることに抵抗がないのだろう。

損得でものを言うなら、買ったものはさっさと使用感を試し、相性が悪ければ売り飛ばすに限る。

でも。

本との関係は損得勘定じゃないんだぞう?

 

一応、断っておくが、私は速読や効率の良い読書を否定はしない。

単に自分には向かないな、というだけである。

底の浅い私のことだから速読を習得してしまったが最後、読了冊数を誇る読書家気取りにあっさり陥るだろうし、効率重視に偏ってもやはり同じ末路を辿る。確信がある。

でも興味はあるので、そういった方法で本を読んでいる人の話は是非とも聞きたい。

ちゃんと「本の話」にもなるならば。

 

という考え方のわたくしめ。

木根さんに映画友だちがいないように、読書友だちがおりません。

「なんで本を読まないの?」とか「電車の中ってみんなスマホいじってて本読んでる人いないよね~。私ぐらいかな!」とか言っちゃうような人とは、はなから友だちになりたいとも思わない。

「なんでゲームしないの?」と聞きたくなるし、電車の中で本を読んでいる人が一定数いるのをこの目で見てるし、あなたの視野が狭いだけだよと言ってケンカおっぱじめたいわけでもないし。

読書なんて所詮は孤独な行為よ…せいぜいが積ん読しまくってブログのネタにするぐらいよ…。

でも誰かと一緒に本屋さんに行くのは好き。その人が何に惹かれるかを見るのが好き。

けれど今はそういう機会がなかなかないので、ブログなどで欲求を発散している。

ネットはクソね!という目にあったことが、今のところはない。幸運である。

 

これまでにも書いた気がするが、このブログは「積ん読ブログ」。

積ん読解消ブログ」ではない。

正確に言うのならば「本が好きで買うのが好きで結果的に積みまくっている人間によるブログ」である。

「本が好き」をもっと細かく言うと、読むのが好き、かたちが好き、重みが好き、装丁が好き、紙が好き、文字が好き、文章が好き、文章を書いている人が好き、本のある場所が好き、本のことを話すのが好き。

そこに、買って積むのが好き、が加わったところで何だと言うのだ。

 

本、いいわよね。私は好きよ。

面白くない本なんてないわ。

活字本は想像力を育んでくれるし、マンガは常に表現形態が進化しているし、雑誌はフロクとのバディもの。電子書籍は現代版アップデート。同人誌は本もどき、ではなく、もはや日本の文化。

確かにそれらを積ん読するなんて無能のすることかもしれない。でもそれもライフスタイルの一部と思えばおかしくない。

積ん読をネタにブログを書くのも一種の酔い覚ましと思えば、これもおかしくない。

積ん読は最高よ!誰にも文句は言わせない!

何故なら私が本を積む人だから!

わかったか!イピカイエ!

 

 

「木根さんの1人でキネマ」、本当に面白い。映画のチョイスからセリフまわしまで、もうすべてが本当にお見事。

21世紀はともかく、平成最高のマンガのひとつといっても過言ではない。

全力でオススメする。

 

木根さんの1人でキネマ コミック 1-5巻セット

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(一部、誰に向かって口きいてんだロリータモードでお送りしました)

(私の人間性はともかく「木根さんの~」は文句なしに痛快なので機会がなくても是非ご一読を)